マチュピチュと愉快な仲間達
夜中3時、
昨日は前にあった旅行者と話し込んでしまい、結局寝ないでそのままマチュピチュへ行く準備を始める。
皆を起こして4時に昨日予約しておいたコレクテイーボ(安いタクシー)とアマレス広場という大きい広場で待ち合わせをしてまだ暗い中を走って,& amp; nbsp;起点になる村まで向かう。
我々は結局歩いて行く方を選択したのである。
が、今日はなんとクスコ全域で大規模なストライキが起こるらしく前日から道路には所々 車が通行できない様に大きな石がばら撒かれてるではないか!?
昼間ならともかく夜中に走行するのはかなり危ない!!
ドライバーは慣れたモンでうまく縫う様に走っているのであるが万が一ぶつかったりしたら大事故だ。 考えただけで冷汗モノである。
始めからこんな感じではなにやら先行不安である。
しかし1時間位は何事も無く進めた。ホッとしてウトウト眠ってしまったのであるが、ドライバーが突然車を止めたので何となく 目が覚めた。
ふとヘッドライトの先を見ると、めあんと!!
どこから持って来たのか高さ約60センチ、長さ20m以上はある巨大な倒木が道路一杯に置いてあり、完全に車両通行できない様になってるではないか!!
ここまでするか!!!!!!?
こうなると道路の脇を通る事すら不可能で、仮にバイクであったとしても無理。
仕方なくまだ夜も明けぬ道路を歩こうと試みるが、よく考えたらここからスタート地点なる村まではまだ20km以上はある。
一体何時間かかるんだ・・・。
そう思うと意識も南の空に遠のいていきそうだが、後から来た車もどうして良いか分からず・・・
ペルー人を含むその場にいた全員が魂を抜かれた大橋巨泉のような顔になっていた。
すると、ドライバーは他の人に何か有効な情報を聞いたのか
『VAMOS(行こう)』
と言って迂回しだした。
どうやら他の道を通って行くみたいだが、周りをぐるっと見回しても道路など見当たらない。
どこにも道なんかないじゃないかと正直思ったが、相当に大まわりをしてひどい状態の未舗装道を通る羽目になった。
この道はアスファルトの舗装路ができるずっと前からある様な・・・
下手するとインカ帝国時代から一回も整備した事がないんじゃないかと思っても不思議じゃないくらいのかなりガタガタ道であった。
そして昔懐かしいインディジョーンズでお馴染みの
『テーテレッテ〜♪』
のサウンドトラックが頭の中を43回ほど流れた頃、我々はなんとか事無きを得てやっと目的地の近くの村まで辿り着くことができたのである。
ようやく一安心できた。
が、本来その先の村まで行く約束であったが、予想以上に道が険しかった為か、ドライバーが危険を感じ
『ここまでにしてくれ』
と言ってきた。
何しろストライキはかなり過激で、車だろうが人だろうが容赦なく石とか投げられたりするらしいので本当に危ない。
確かにその通りだ。
彼はここで引き返した方が賢明だろう。
その代わり少し料金を割引してくれた。
そこから先は荷台を改造したトラックに2ソル(80円)乗せて貰いそれに揺られて30分、クスコから80km地点、
つまりマチュピチュに向かう徒歩道のスタート地点にやっと到着したのである。
まだスタートしてないのにずいぶん疲れたぞ。
地元の新鮮なホットミルクだと思って飲んでみたら・・・
ふと周りを見ると露天のおばちゃんが、なんだかわからんが暖かい飲み物を売っていた。
ホットミルクかなんかと思い50センターボ(15円)払って頼んでみる。
露天なので前の人が飲んだコップはただ水につけて置くだけで、ろくに洗いもしない不衛生極まりないものであるが、オレは基本的にあまり気にしない。
飲んでもあまり腹を壊さないというのもあるが、現地の人と同じものを食べたり飲んだりしたほうが現地の人と親しくなりやすいからだ。
が、一口飲んでみたら、それはホットミルクではなかった。
なんというか、口に入れた瞬間に広がる濃厚な不快感。
これはウチの弟が得意な
『納豆焼きうどん』
とタメを張る爆発力のある味わい!!
大変な誤算だ。いくら何でもここまでとは...
想像の限度を超えている。
見た目、香り、酸味、ノド越し...どれをとっても申し分がない。
英語で言うならアウト・オブ・リミット
なんとなくかっこいい響きである。
前例のないほど、まずい!!!
が、地元の人が飲んでるものを返すのも失礼だと思い、覚悟を決めてひと思いに一揆に飲み干す。
コップを返すとおばちゃんが二カッと笑っていた。
マチュピチュ麓の村アグアスカリエンテスまで28qの線路を歩く地獄の旅は始まった
ここからマチュピチュの近くの街アグアスカリエンテスまでは28km。
単純に計算して4km/hで7時間の行程を歩いて行くのであるが勿論歩いて行っていいワケは無く、運が悪いと途中に入る監査員に見つかり追い返されたりする。
なので、見つからないように途中で山というか坂を登って遠回りする場面が何回かあった。
真に面倒くさい事この上なかったが、その甲斐あってか運良く捕まらずに危険ポイントは無事にパスできた。
景色はすこぶる良く、線路沿いに流れる川と山々を眺めがら線路を歩くのは気分が良かったのであるが、しかし実際28kmという行程は果てしなかった...。
線路の上を歩くという事は、線路の上に敷いてある石の上を歩くという事になるのであるが、これは想像以上に過酷なのである。
今まで生きてきた中で線路の上なんぞ歩いた経験のない私は歩き始めて間もない頃は
「なんだ、意外と楽勝じゃん!!」
とか言っていたのであるが、中盤くらいになってくると目に見えて辛くなってきた。
初めは皆でワイワイ楽しくという感じだったのが、スタートしてから約半分の15km地点の表示が見えた頃には誰も何も喋らなくなっていた。
そんな余裕なんてどこにも無い!!
何がツライかって線路に敷いてある石が足の裏の部分に当たって‥‥
いや、感覚的に 突き刺さっていると言った方が正しいかも知れない。
しまいには足の爪が予想以上にダメージを受けたのか、親足指から内出血。
一歩歩くたびに足指に激痛が走る…!!
チリで購入した靴も早くもボロボロ・・・
そしてここで使いものにならなくなり、後半からはたまたま持参していたサンダルに履き替えて歩いた。
何しろ、靴履いてると親指が痛くてこれ以上耐えられないのである。
兎に角、長時間歩くという行為は苦痛以外の何物でも無かった。
線路の脇には1km毎に、今何km地点にいるのかが表示してあるので、今どこまで来たのかは一目瞭然なのであるが、
闘い?も後半になって来ると、1kmという距離がとてつもなく長く感じていたのは皆同じであった。とにかく歩くしかない。
そのうちシトシトと降り出してきた雨はいつしか激しくなり、木陰に入って雨やどり。
そんな雨の中でも後から来るヨーロッパ人旅行者達は雨は特にに問題ないといった感じで合羽を羽織りつつ歩いて行く。
意外であったが、どうもこのルートはヨーロッパ人パッカーの間では結構知られているらしい。
この日、4、5人のグループもしくは10人近くのヨーロッパ人団体パッカーが歩く姿を5、6組程見た。
負けてらんねーっつー感じでタカオ君がi podにスピーカー付けてブルーハーツ流しながら徒歩再開。
なんとなくテンション上がってきた!
ちなみにタカオ君はバックバックを背負って世界一周中。
前述したが人の良さが顔に滲み出ているといった感じの男で、一緒にいると楽しい気分になる明るい奴だ。
かと思えばキレて椅子を蹴飛ばす一面も持つ(笑)
そして彼の世界一周の相棒として旅立ったのが連れのタカヒロ君である。
地元でカラオケの最中、突然タカオ君に『重大な話がある。』と言われて世界一周に誘われ、結果一緒に行く事を決意したらしいのであるが(笑)
とても温厚な印象だが、自分の考えはしっかり持っているやさしい男だ。
次にモトハル君、天然キャラというか、時々面白い発言をする。時々キレる。時々いすを蹴飛ばす(笑)
そしてタツヤ君、彼も世界を一周中のバックパッカーであるが、一見大人しく穏やかに見えるのであるがある時ふとテンションが上がるとすごいおしゃべりになる。
そのギャップがめちゃめちゃ面白い男である。
そんな5人が今回集まりマチュピチュに挑んでいるのである。
実はスタート地点から線路沿いにはずっと清流が流れていて景色がとても良いのであるが、後半皆下を向き会話もなく、ただひたすら歩き続いていた。ホントしんどい、、、。
私がボクサーならいつでもタオルを投げられたい。
とにかく私の心は折れ放題であった。
しかし空が暗くなり始めたPM5時過ぎ、前方になんと
『BIENVENIDOS A MACHUPICCHU PUEBLO』
(マチュピチュ村へようこそ)
の看板を発見!!
これはまさか、、、とうとう着いたのか!?
そしてその先を重い足を引きずりながら歩いていくと鉄道の駅を発見。
マチュピチュに最も近い駅、アグアスカリエンテスだ。
そう、終点である!!!
終わった...
まだマチュピチュ見てないのにこの達成感 !!
このまま電車に乗って帰ってしまいたい気分だ(何しに来たんだ)
宿も客引きの案内であっさり決まりとりあえずはメシ。
けっこう前の本であるがオレが日本を出る前に読んだ
『神々の指紋』
という本ではアグアス・カリエンテスは錆びれた何も無い街と書いてあったのであるが、実際には意外と観光地化されていて店も大体が観光客を意識した造りになっていて、イメージとはだいぶズレていた。
その辺の適当な店に入って飯を食べ、いよいよ明日のマチュピチュに備えて早く寝る。
が 次の日、非常事態が発生した。
それは驚くべき事に、この日
『誰一人として』
マチュピチュまで行く気力が起きなかった事だった(笑)!!
(疲れたのよ ホント)
とうとう念願のマチュピチュへ
さらに次の日、朝一番のバスに乗って山の上にあるマチュピチュ遺跡を目指す。
まだうす暗い道路をバスは走って行くと、側道を歩いている旅行者の姿が見えた。
そう、マチュピチュまでは歩いて登れるのである。
だったら我々も歩いて行けばいいじゃないアルか?
思われる方もいるかも知れないが、勘違いしないで頂きたい。
誤解を恐れずに私の気持ちを箇条書きで言わせて貰えば
『もう歩きたくない』
『坂は嫌だ』
『疲れる』
『めんどうくさい』
『早く帰りたい』
など、もはや誤解だらけだ。
しかし真実はそんな軟弱な理由ではなく、我々は
『誰よりも早くマチュピチュが見たい』
といういわば好奇心の塊、
そしてマチュピチュを見る為ならばバス代くらいぜんぜん大した事はなく、それを達成するならば歩いている場合では無いのである。
なら始めから電車で行けば...
という言い方も パプワニューギニア辺りではあるかも知れないが、そんな小さな事を気にしていては 大きな人間にはなれないのである。
しかし 実際頂上に辿り着いたら、既に200人以上の人が出来ていた.。
お前ら そんなに早く来るんじゃない(笑)
まず、ゲートに入って6時過ぎにオープン。
はじめに目指したのがワイナピチュという山である。
この山は一日限定で400人しか登れないという、登ったヤツは大変おトク感溢れる山でここからマチュピチュを一望できるというのが一番の目的だ。
約1時間くらいかけて頂上まで行くのであるが、結構急な斜面で正直しんどい。
しんどいのにはもうひとつ理由があった。
なにしろマチュピチュは標高2500m。
ワイナピチュ頂上では標高2720m。
単純に考えて富士山の6号目付近を歩いているのと同じである。
クスコ(3400m)よりは標高が低いとはいえ、そういった環境に慣れてない我々日本人にはなかなかハード!
頂上に着く頃には我々5人はもう疲れ切っていた。
が、その景色が目に入ったその瞬間、
あまりの美しさに、もう少しで自分の家の最寄駅を忘れそうになった!
やはり、マチュピチュは上から眺めた方が断然キレイだという事をここに来て発見した。そして、40分ほど誰もなにもしゃべらず、
「空中都市」
その雄大にして壮観な景色を皆ただ眺めていた。
というか、ただ単に疲れていた(笑)
色々あったけどここに来てよかった。それだけだった。
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