日本人拉致事件 危険度5地帯、バムへ
2008年6月下旬
バイクのタイヤも無事確保でき、順調に『世界の半分』と呼ばれるエスファハーン、ペルセポリス遺跡のあるシーラーズ、
そしてあんまり見るもん無かったヤズドを見てきた私。
どれもなかなか素晴らしいものであったが、どう素晴らしかったかという説明は
『地球の〜』などの某ガイドブックや他HPに任せるとしよう。
それはここで私がわざわざ書くことではない事であるし、やはり
『読者には実際行って感動して欲しい!』
という筆者の切の願いでもあり、誤解のないようにその気持ちを箇条書きにさせて頂くと
@『書くがめんどくさいし』
A『指が疲れるし』
B『ネット屋に行くのがかったるいし』
C『てゆーかネット代がもったいないし』
D『今日は危険日だし』
などといった事を間違って考えてしまう今日この頃の私だ!
話を聞かないイラン人
ところでイランではイスラム教の
『旅人には親切にしなさい』
的な教えがある為か、イラン人はみな親切でホスピタリティ溢れる国としてイランを訪れた旅行者には評判がいいところであるが、実は俺にはイランの嫌いなところが少しある。
ひとつは 人の話を聞いてないことだ。
バイクで走っていてその辺で休憩していると、どこでもたいてい人だかりができる。
そしてほぼ100%の確率で
『 Where are you from?あなたはどこの国の人?』
と聞かれるのであるが、
『I am Japanease 日本人です』
と答えると今度は隣の人から
『Where are you from?』
と聞かれる。
あれ?聞こえてなかったのかな、と思ってもう一度、
『I am Japanease 』
と答えるとまた他の人から
『コーリア?』
と言われるのである。
今、日本って言ったじゃねーかと思いつつ
『アイム フロム ジャパン!!!』
と多少キレ気味に言うと
『オオー、ジャパン!!』
と言われて、やっと納得してくれたかと思ってホッとしてると、
次の瞬間また他の人から
『アー ユー フロムチャイナ?』
と言ってくる。
こいつら絶対ナメてる...。
これがまたどこに行ってもこんな感じで毎回同じ。
要するに話をまったく聞いていないのである。
または自分の口から直接聞いて見たいのかも知れないが、止まるたびに毎回同じ質問をされ、一人一人に答えていくのは正直イライラしてくる。
心優しきイラン人に感謝と尊敬の念をこめて、私は心からこう言いたい。
あんたらの頭ん中には
GOOGLE・Androidかなんかの
『パーフェクト記憶力強制破壊アプリ』とか
意味のわかんねえもんが無料でインストールされてんのかよおお馬鹿ああああああああああ!!!!!!
実はもうひとつのイラン人の嫌いなとこがある。
それは運転中に地元のバイク乗りが絡んでくることだ。
その事についてはすでに前述したが、本当にタチが悪い。
長距離移動、または市街地を走っていると高確率でバイク乗りが声をかけてくる。
しかもお互いバイクを走行中にである。
向こうはたいてい2人乗り、3人乗り(時々4人乗り)だったりするが、ただでさえ運転に集中しないと危険なのにさらに 『へーイ』とか言いながら声をかけられるのは大変ウザい。
それだけならまだいい。
80km/hで走っているとイラン人はたいてい100km/h位で俺を抜かしていくのであるが、少しすると何故か彼らはスピードを落としオレに抜かされる。
で、少しすると再び後方からオレを抜かして行き、そうかと思えばまたオレに抜かされるといったことの繰り返し。
何回も追い抜きするので気が散るし本当にめんどくさい。
めちゃくちゃ邪魔である。
だんだんイライラしてきて、うるさいから先に行かせようと思いスピードを落とすのであるが、すると向こうも合わせてスピードを下げるのである。
だったら振り切ろうと思ってスピードを上げると今度は全力でついていこうとする。
これは相当気持ち悪い。
一体何なんだお前は!!
最終手段で何度か完全にバイクを止めた時があった。
が、これも彼等には通用しなかった。。
こっちが止まればあっちも合わせてずっと止まるのである。
しかもこっちが動き出すのをじっと待ってるし。
きっと彼等はおれのバイクが珍しいから一緒に走りたいに違いない。
決して悪気がないというのは良く分かっている。
けど、心優しきイラン人達の大いなるイスラム教の教えに尊敬の念をこめて、もう一言だけ言わせて欲しい。
てめええらあああああああああ、
ついてくんじゃねええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!
イラン滞在中はこんな事ばかりだった。
日本人拉致事件 危険度5地帯、緊迫のバムに到着
さて、そんなイラン人バカヤロー
ではなくバイク野郎にイライラしつつのイランに入って3週間目、バムという街に到着した。
この街の名前を聞いてなんとなく聞いたことがある方もいらっしゃるかも知れない。
そう、2007年10月、某大学生が拉致された場所というのがここバムなのである。
なんと言っても 『拉致』である。
この言葉はまるでクサヤのような一部のマニアに好評なニオイがする。
実際外務省のHPを見てみるとケルマーンからパキスタン国境 に及ぶ西部エリアは見事に赤一色。
つまり一番危険度が高い 『退避勧告』が出ているのである。
要するにいかなる理由があってもその地域には行くなという事だ。
そんな危ない地域に今まさに足を踏み入れようとしているのである。
内心かなりビビっていたのであるが、思いの他街中は至ってのんびりしていて拉致どころか逆にどちらかといえば閑散としていて町に活気がないといった印象のほうが強かった。
それもその筈。数年前にここ一体で起きた大地震の影響でここバムの最大の見所...
いや、人によってはイラン最大の見所といってもいい位だというバム遺跡は、ここにはミサイルでも打ち込まれたんじゃないかと思うくらい、跡形もなくなるくらいに大破!
その影響で旅行者が全く訪れなくなってしまったというのが一番の理由だ。
その上,度々起こる拉致など事件によりイラン自体のイメージが悪くなり、ツーリストが訪れなくなってしまったので余計である。
もうひとつだけ付け加えさせてもらうと前述した地震はバム遺跡のみならずバムの町そのものを崩壊していた。
もう地震からかれこれ4年以上経っているにも関わらず、町中にある建物は未だ建て直されてはおらず
なんと荷物を積むコンテナを建物の代わりにしている店などをよく見かけた。
やたらと明るいバム市民。お願いがある。少しくらい落ち込め!
とりあえずこの町にある安宿で有名な
『アクバルゲストハウス』
に泊まることに。
実はオレはここで待ち合わせをしていた。
テヘランのマシャドゲストハウスで一度会って以来、エスファハーン、ヤズド、ケルマーンと、お互い一度も待ち合わせもしてないにも関わらずなんと偶然にも計4回会っているナオキさんである。
ケルマーンで4回目に会った時、スペイン人のおっさんと一緒にパキスタンに向かうと言っていたので、
じゃあ一緒に行きます か。という感じでここで待ち合わせとなったのだ。
彼らはオレが着いた次の日に到着。
これで5回目の再会である。
一緒に来たスペイン人のおっさんとも初めて顔を合わせたのであるが彼はトヨタのランドクルーザーに乗り世界一周しているというツワモノ。
それ以上に驚くべき事は、彼は今年で70歳という事だ。
その年で世界一周することだけでも凄いことなのに自ら運転をしているのである。
オレもバイクを運転しているので良く分かるが、バスで旅行する時に比べて自分で運転するというのはハンパなく疲れる。
体力的にも精神的にも相当なスタミナが必要なのであるが、70歳でそれをしているというのはもはや尊敬に値する。
しかもアフリカも既に行ってしまったらしい。
オレも一度行ったからよくわかるが治安面で不安定なアフリカを走破してしまうとは...
凄まじいおっさんである。
日本の大学生がバムで拉致された意外な理由
そんなわけで3人でイラン西部の危険度5地帯を明日から突破することになったのであるが、この夜、ここのホテルのオーナーのアクバル氏に大学生が拉致されたときの状況を聞いてみた。
彼はなんとここに泊まっていたらしいのであるが、どうも彼はどこかの街に移動しようとしていた際に拉致されたようだ。
その事を詳しく聞いてみたところ、アクバル氏は
『彼はね〜道を歩いている時に車のドライバーに声を掛けられて
『君の行きたい所に連れて行ってやるよ』
と言われたみたい。
で、そのまま乗ったら連れていかれちゃったんだね。アホだね。』
と言っていた。
確かに聞いた通りだとマヌケな感じがするが、イラン人は基本的に親切だからヒッチハイクにも喜んで乗せてくれそうな感じである。
実際大学生の彼もイランでヒッチハイクをしたことがあるのかも知れないが、きっと
『イラン人なら安心』
と油断してしまったのだろう。
これは彼がたまたま捕まってしまったというだけである。
でも決して人事ではない。
更にアクバル氏は続けて
『バムはとても安全な街なのに去年の事件やたびたび起こる人質問題でここに訪れる旅行者が全くいなくなってしまった。大問題だ。』
と言った。
彼のホテルは今年で20年目になるそうだが、4年前の大地震の影響をもろに受け、家は崩壊。
それからしばらくの間は仮設テントで生活をしていたらしい。
彼にとってここ数年は地獄だったに違いない。
次の日、我々は6時半に出発し、とうとうパキスタン国境に向けて走り始めた。
距離にしたら300kmちょい。
普通に走れば昼すぎには到着できる距離なのであるが、次の大きい街ザーヘダーンまでは意外にすんなり辿り着く事ができた。
が、暑さが半端無い。
ここに来て一段と暑さが増して来た様で走っている時に吹いている風は涼しくも何ともなく、むしろ苦痛。
というのも殆ど熱風で、例えるならばサウナ並の温度の熱風が体にぶつかって来る。
『暑ちい〜!!』
などと言ってヘルメットのシールドなんて開ける事すら許されないのである。
開けて走る方がよっぽど地獄だ。
さて、そのザーヘダーンだがこの街はガラの悪い町としてオレの持ってるガイドブックには書いてあったのであるが、町に入って間も無く車に乗った警官がオレ達に声をかけて来て何やら説明していた。
護衛の一瞬の隙を見て盗み撮りしてみた写真。勝った!
どうもこの町にいる間の行動は護衛付きが必須らしく車のナンバーをアントニオさんが返却している間、オレがガソリンをガススタで入れている間も常にバイクで2ケツした警官2人(後ろの人はライフル持ち)がついていた。
(イランでは車を走行する場合ナンバーを発行しないといけないらしく
また出国する場合それを返却しないと行けないらしい。因みにバイクは ナンバーそのままでOK) 、
実際のところ、ザーヘダーンはそこまで危ないイメージは無かったのであるが、これほど過剰な程の護衛からすると、きっとそれだけの理由があるからだろう。
護衛は何回か交代しつつのそのままザーへダーンの町を出てからも続いたが、とにかくペースが本当に遅い!!
普通に行けばお昼ちょいには国境に着くくらいの距離なのであるが、向こうは時速50km程度でとろとろ走っているので全然距離が稼げない。
しかも、ふと前の方を見ると、車の荷台に乗って銃を持っている2人の護衛はなんか寝てるし。
ぜんぜん意味ねーじゃん!!
するといいかげん痺れを切らせたアントニオさんはオレと同じ事を考えていたのか、とうとう護衛を抜いて行った。
確かにこんな護衛ならいてもいなくてもあんまり変わらない。
それに護衛が寝ていられるという時点で実際そこまで深刻ではないという事である。
逆に少し安心した。
そして、オレも後ろに続いて護衛を抜く。
彼等はそれを追う気配すらなく、瞬く間に護衛者はバックミラーから遠ざかっていった。
その後は110km/hで、不毛な砂漠を駆け抜け一気に国境へ。
ここでゴルフをしたらきっとどこに打ってもバンカーだろう。
そしてついにPM3時41分、我々はとうとう
『危険度5地帯』
というゴールに、ゴールネットを突き破るネオ・タイガーショットをキメたのである。
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最近、僕宛に来るメッセージで一番多いのが、『世界一周いくらかかるんですか?』
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